愛としあわせは いつも 自分の内にある
いつもありがとうございます❀
応援クリック
どうぞよろしくお願いいたします(*^^*)❀
幸せを求めてがんばったら
いつか幸せになれるんだ…
そう思っていました……
幸せと不幸せについて
わかりやすく解説されている
OSHOの著書より
引用させていただきます。
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
幸せは常にそこにあるが、あなたがそれを求めると、あなたは不幸せを発見する。
求めることによって、あなたは幸せを取り逃がすだろう ―― 幸せをとり逃がすこと、それが不幸せというものなのだ。
不幸せは追求とある関係を持っている。
二つはひと組なのだ。
もしあなたが、「追求」すると、あなたは不幸せを発見する。
そして、アメリカ憲法はすべてのアメリカ人に、彼らは「追求」しなければならない、という考えを与えているのだ。
そして彼らは必死になって追求している ―― 金、権力、宗教 ―― そして彼らは幸せを見つける方法を教えてくれる人を探して、世界中を駆け回っているのだ。
人間はしあわせを追求して
行動することで
得られるものは沢山あります。
信用だったり
経済力だったり
物質的に豊かな暮らしだったり
名声や賞賛だったり
権力や地位や名誉だったり…
これらは人間社会の中で生きていくには
必要不可欠なものもありますね。
でも
もしも
「今の自分に足りないものを得ることができたら
その時にしあわせになることができる」
と考えているとしたら…
今の自分や境遇の中に
常に不足を探し出して
もっともっと得よう
と
がんばり続けることになるでしょう。
純粋な意味でのしあわせは
もうすでに
いつも
わたしたちの内にある
それなのに
物質的なものに執着したり
他人に認められることに執着すると
自分の外側しか観ようとしなくなるから
自分の内側にあるしあわせを
感じられなくなってしまいます。
自分で自分を認めることができないと
とても不安で情けないから
なんとしても
他人に認めてもらおうとして
富や名声を追い求めてしまう…
それは
求めて努力して得たとしても
また次々に求め続けなければならない
満たされることのない渇望です。
とても苦しい毎日の連続に
なってしまうことでしょう。
愛としあわせは
いつも
自分の内にある
「まだ自分は足りていない」
というエゴの声を聴かなければ
自分自身を無条件に愛することができる。
そして
今ここにある喜びを素直に感じたなら
今ここは完全に満ち足りていて
無条件にしあわせなのです。
ありがとうございます♡
0コメント