否定するエゴがなければ、地獄はない
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エゴ(自我)からの解放について
わかりやすく解説されている
OSHOの著書より
抜粋させていただきます。
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〈 サルトルは『地獄とは他人である』と言っていますが、私は時々、『地獄は自分だ』と感じます。私は地獄にいます。厳しいです! 私は至福を見つける前に地獄を受け入れなければならないのでしょうか? でも、どうしていいのかわかりません。〉
いや、あなたは地獄にはいない。(中略)
あなたのエゴが地獄なのだ。もしエゴがなかったならば、地獄もない。
エゴがあなたの周りに構造物を作り上げる。それがあなたを不幸にする。エゴは傷と同じように働く――するとすべてがそれに苦痛を与え始める。「私」が地獄となるのだ。
自我が地獄なのだ、自我がなければ天国だ。自我がないとは、天国にいることだ。自我があるとはいつも地獄にいるということだ。「至福を見つける前に地獄を受け入れなければならないのでしょうか?」あなたは地獄を理解しなければならない。なぜならば、あなたが地獄を理解しなければ、そこから抜け出すことは決してできないからだ。そして、理解するためには、受け入れることがどうしても必要だ。あなたが何かを否定し続けていたら、あなたは何も理解することができない。それが私たちがいつもやり続けていることだ。私たちは自分の存在の一部を否認し続けている。私たちは「これは私ではない」と主張し続けている。ジャン = ポール・サルトルは他人は地獄だと言う――あなたが自分の中の何かを否定するとき、あなたはそれを他人に投影する。
投影のメカニズムを見なさい。あなたが自分自身の中で否定するものが何であれ、あなたは他人に投影する。あなたはそれをどこかに押し付けなければならない。それが他人だ。
エゴは常に
何か問題を見つけだす
・自分の欠点
・他人の落ち度
・傷つけられた憐れな自分
・酷い他人
・もう過ぎ去った過去への不平不満
・未来に対しての心配や不安や恐怖
そうやって
自分の理想通りではない自分を責め
自分の思い通りではない他人や境遇を責める。
エゴは常に自分がしあわせになることを
求めているかのようで
実は
常に自分を不幸な状態に縛り付けていることが
ほとんどだったりする。
なぜなら
エゴが求めているのは
いつも条件付きのしあわせだから。
条件付きのしあわせは手に入れたとたん
失う不幸も付きまとうし
より多くの満足を得ようと渇望し
また次のしあわせを求め続ける。
・問題を見つけて責め立てるエゴ
・もっともっと! と求め続けるエゴ
それは
恐怖や不安や寂しさから逃れようとするエゴの罠。
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だけど
逃れる必要なんて
もともとなかった。
問題なんて
もともとなかった。
他人を責めたくなるのは
あるがままの自分を認めることができずに
責めているからだった。
否定するエゴがなければ
地獄はない。
ほんとうは
すべての存在は
常に喜びと愛の中に在るのだから。
エゴがぐるぐる巻きにこんがらがって
覆い隠している内なる愛の光を
かんじていよう♡
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