後悔も罪悪感もない生き方
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悔いなく生きることについて
OSHOの著書より
抜粋させていただきます。
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死は何も破壊しない。肉体は塵だ。塵になって消える。しかし意識には二つの可能性がある。それは、もしそれが望むなら、もう一つの別の子宮の中に移行する。あるいは、もしすべての欲が消えていれば、それは存在の子宮、つまり永遠に移行する。破壊されるものは何もない。肉体は再び地球の一部になって休息に入り、そして、魂は宇宙の意識の中に移行するか、もう一つの肉体の中に入ってゆく。
しかし、あなたは泣き叫んで、何日もの間悲しみをひきずる。それは単なる形式だ――あるいは、もしそれが形式ではないならば、あなたは死んだ人を愛していなかった可能性があり、そしてあなた今になって後悔しているのだ。あなたはその人を全面的には愛してはいなかった、そして今はもう手遅れだ。今、その人は消えてしまった。もう、彼らは決してもどって来ない。(中略)
もしあなたが一瞬一瞬を全力で生きていれば、決して後悔はなく、罪悪感もない。もし、あなたが、全力で愛してきたのなら、何の問題もない。ある日、もし恋人が去ったら、それは、私たちの道が分かれたというだけのことだ。私たちはさよならを言うことができるし、お互いに感謝することもできる。私たちは沢山のことを分かち合った、私たちは沢山愛し合った、わたしたちは互の人生を沢山豊かにした――泣くことはない、そして、どうして惨めになるのだろうか?
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人間はエゴが邪魔をするために
目の前の人を全力で愛せないことがある。
全力で愛することを邪魔する最大のエゴは
愛する者を失う恐れではないだろうか。
恐れにとらわれた心には
いつも未来への不安がつきまとい
いつも目の前の現実に不足を感じる。
エゴの口癖は
「このままでは十分ではない」
このままの自分では
このままのあなたでは
ナニカが不足している。
もっとしあわせな未来があるはず……
そのためには
もっと改善すべき
もっと努力すべき
もっと愛し愛されるべき……
エゴの欲求は常に
条件付けられた幸福を
条件付けられた愛を
求めている。
そのため
エゴの声に翻弄されていると
純粋な愛を見失う。
「全力で愛する」とは
見返りを求めない純粋な愛なのだろう。
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たいせつな人を
全力で愛することができなかった後悔で
子ども時代から何度も苦しんで来た。
残りのいのちを
どんなふうに生きたいのか?
はっきりとわかった。
エゴの恐れにとらわれずに
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